8月5日(月)、豊川海軍工廠で被災されたかたの体験談をお聞きし、平和の像の清掃をする、という
「あの夏を想う集い」に参加しました。
お話をしてくださった伊藤さんは、82歳。
昭和20年3月に小学校を卒業し、豊川海軍工廠の養成学校に入学したと語ってくれました。
昭和20年8月7日、東洋一と言われた豊川海軍工廠は、爆撃に遭い、2500人以上が亡くなりました。
伊藤さんは、トイレに入ったおかげで、九死に一生を得たそうです。
防空壕に飛び込んだり、走って逃げたりして、火の上がる海軍工廠から逃げることができました。
その後も、家に帰るのではなく、養成所の寮に戻り、けが人のお世話をしたそうです。
お話はとても悲惨でした。
養成所の一角に、遺体が集められ、少年たちが見張り番をしたとのこと。
私は、中学生の娘と一緒に参加しましたが、まさに、同じ年齢でした。
中1、中2というまだ幼く、多感な時期に大変な思いをされ、本当におつらかったことと思います。
お話を聞いた後、慰霊のために建設された平和の像を清掃しました。
草をむしり、絡まった蔓を払ったりして、さっぱりとしました。
近々慰霊祭が行われるので、平和の像の周りがきれいになり、よかったです。
豊川海軍工廠展で、成り立ちから閉鎖までの資料を見ることができます。
豊川市文化会館にて、8月7日から18日まで、開催されます。
(8日、9日、13日はお休み)
私も海軍工廠展を見て、平和について考えたいと思います。
メンバー・埋田久美