1945年8月7日、東洋一と言われた豊川海軍工廠が爆撃を受けました。
2500人以上が亡くなりました。
7日、洗濯物を干していると、
平和の式典があるので、ご参加ください、との街宣車が走っていました。
私は、式典には参加しませんでしたが、
3日に行われた、あの夏を想うつどいに参加しました。
最初に、豊川海軍工廠で被災されたかたの戦争体験談をお聞きしました。
当時中学生。同級生と一緒に防空壕に生き埋めになりながらも、奇跡的に生還。
熱く語ってくださるお姿に、「生きる」ということの重みを感じました。
そして、平和の像周辺の清掃。
暑い中の作業は大変ですが、当時の人々のことを思うと…。
自由、平和、安心…当たり前のことを本当にありがたいこと、と感じました。
桜ヶ丘ミュージアムに移動して、豊川海軍工廠展(31日までやっています)の見学。
毎年このイベントに参加してますが、おかげで、いつもこの時期に、
当たり前のことに対する感謝の気持ちを思い出させてもらっています。
埋田 久美
日本一暑い街、岐阜・多治見市在住の組合員(コープ自然派くらぶ生協)です。すこし前の新聞記事ですが、まさか?と思ったのですが、こんな田舎でも昭和20年7月15日に「多治見空襲」というのがあったそうです。
空襲体験者が組織する「多治見空襲を語り継ぐ会」というのがあって地元中学生などに当時の体験を伝える活動もされているとか。でも語り部は80歳代くらいの方たちでしょうか。
語り継ぐことの価値をいま本気で意識しないといけないと感じました。無機的な歴史記録だけ残しても、だいじなことが伝わらないまま消えていくように思いました。
コメントありがとうございます。
お返事が遅くなり、申し訳ありません。
多治見市にも空襲があったのですね。
こちらでも語り部のかたは、80代のかたです。
豊川でも、語り継ぐ大切さを意識しなくては、
とおっしゃっていました。
多治見の近く可児市には、飛行機工場にしようと掘っていた
洞窟があり、あいち生協のみんなで見学したことも
何度かありました。