8月5日、あの夏を想う集いに参加しました。
毎年行われていて、参加するのは、9回目?くらいになります。
豊川海軍工廠で被災されたかたの体験談を聴き、
慰霊碑。平和の像の周りの清掃をする、という集まりです。
今年も暑かったですが、がんばりました。
今年お話してくださったのは、
郷土史を研究されている水谷先生でした。
先生は、1950年生まれ。
「戦後生まれの私がお話するのはおこがましいですが…」と
おっしゃっていましたが、
郷土史家の視点で、いろいろなお話をしてくださいました。
豊川海軍工廠では、学徒が従事していたことで有名ですが、
朝鮮半島から来た人も多く働いていたそうです。
しかし、その方々の記録がしっかりされていなかったため、
ご遺族にも、どこで亡くなったのか知らされていませんでした。
水谷先生はお友達と共に、資料を集め、
朝鮮半島出身のかたの故郷に、
「豊川で爆撃を受け亡くなりました」という報告をされ、
ご遺族のかたを豊川に招待したそうです。
話は変わり、今年は、広島で大きな自然災害が起こりました。
避難勧告を出すタイミングというのは、本当に難しいことがと思います。
豊川海軍工廠でも、避難命令が出るのが遅く、被害が大きくなったそうです。
いままでに何度も避難勧告が出ても、無事だったことから、
今回も大丈夫、と思って作業を進めていたことで、
2600人くらいの人が亡くなりました。
今回は今までとは違った視点からお話を聞くことができ、
とても勉強になりました。
ずっと平和な時代が続くよう、
世界で行われている紛争が早く解決するよう、
改めて祈りたいと思ったことでした。
別の日に、豊川海軍工廠展を見学しました。
工廠で作られていた弾丸などが展示されていました。
もう、弾丸を作らせないでほしいです。
でぃあユニセフまぶいの会メンバー・埋田久美