あいち生協の職員研修として生協役職員15名で
岐阜県不破郡垂井町へ行ってきました!
なぜ垂井町なのか?というと、
生協主催のTPP講演会や組合員活動グループ「まぶいの会」
でフェアトレード講演会など、10年来お世話になっている
神田浩史さんが住んでいる町だからです。
▲神田浩史さん
京都生まれ。大学卒業後、開発コンサルタント企業に勤務し、
アフリカなどで農業開発に従事。その後、様々なNGO活動の一環で、
東南アジアから西アジアにかけて地域調査を実施。
現在は、環境・開発、まちづくり・NPO、水、食料などに関する講演を全国各地で行っている。
現在は、環境・開発、まちづくり・NPO、水、食料などに関する講演を全国各地で行っている。
その神田さんが現地の活動の中で見てきたものは
日本の開発援助が現地住民から歓迎されない現実や、
日本人のために森林が壊され、プランテーションや
ゴルフ場、エビの養殖池などが作られる現実でした。
“日本が海外からの輸入に依存する割合が増えるほど、
途上国の貧困や森林破壊を加速させることに繋がる。
日本が途上国に貢献するためにできることは、
海外への輸入依存度を下げ、自給率を上げること。〟
そのために大切な地域の在り方の目指す方向として
神田さんは「穏豊(おんぽう)社会」というものを提唱しています。
河川を中心とする流域単位でつながりを持ち、
物や人の結び付きを強くすることこそ、
豊かな社会の実現につながるというものです。
そのヒントが垂井町にあるに違いない、
ということで一番の目的地として訪れた場所がココです。
▲ 「マンボ」と呼ばれる水場。
水不足だったこの地に生活用水を引くために、
昔の人が地下に横穴を掘って水脈を掘り当てたものです。
▲今でも近隣住民の共同の水場として活躍しています。
当番制で管理したり、決められたルールを守って使われているそうです。
▲飲み水として利用できる場所。軟らかくて飲みやすい水であることを確認しました。
▲ここは一番下流なので、おむつを洗ったりしても良い場所。
垂井町は、かつては中山道の宿場町として栄えた町。
東海道宮宿とを結ぶ美濃路との追分で、
西美濃の交通の要衝だったんですね。
中山道の宿場町とあって、当時の面影を残す建物や文化が点在しています。
歴史を感じるポイントを紹介していただきました。
▲築200年以上経つという旅籠「長浜屋」。 住民ボランティアの有志で維持・管理され、
現在も中山道の趣を残しています。現在は休憩スペースとして利用されています。
▲南宮大社の石鳥居付近では、昔から毎月5と9の日に開かれる「六斎市」。
昔から多くの人々で賑わったそうです。
▲同じ屋号の表札でも片側はひらがな、反対側は漢字で書かれています。
これは、旅人が迷わないよう、京都に向かう時はひらがなが見える方向に、
東京に向かう時は漢字が見える方向に進むそうです。
▲他にも祭りの山車をしまう倉庫(左)や美濃和紙の起源とされる紙屋塚
などを見学しました。
垂井町の歴史を感じつつ、
地域社会の在り方や、コミュニティーを形成するヒント、
穏やかに暮らすために必要なことなどを学んだ1日となりました。